生きる気力が沸いてこない。
テニスに行けなくなったからだ。
無くなって初めて人は気づくとは良くゆうけれど、その通りであった。
生きる気力とは大袈裟だが、それでもやはり生活に潤いがなく、苦しい。
テニス肘かなと思ったら右肘部官を損傷してそうで安静にとのこと。9月から怪しかったんだけど騙し騙ししてたらこうなった。痛い時に悪化する前に病院へ。子どもには早く病院へと急かすのに大人、自分ともなればこの有様。酷いな。反省。湿布のつけ外しがこれまた痛いんだ。慣れた日には治ってたらいいなと微かな希望を抱きつつ。
今朝、月末の読書会に向けて、一冊の小説を読んでいた。好きな雰囲気の本だったのでスルスル読めてその世界に入り込んでいった。
ページをめくりながら、あれ?終わると思って、終わるのが悲しいから手を止めて敢えて先延ばしにと、とっておいた。また週末読もうと思う。
ふと思い出した。
今年は学業、テキストを読み込む作業があってその中でも酷いものは読んでも読んでも進む気が一向になく私にとっては難解で、第一章終わるのに何日かかったんだと言われそうなものもあった。
さっきこれまたふと思ったんだけど、
「冊数こんだけ読みました!ドヤッ」ってするのは、それは違うよ、まだ先に違う世界が待ってるよと言いたいと思ったんだ。
子どもとかでも○冊読んだぜーとまぁその達成感はそれはそれでアリではあるんだけど。
まだその本読んでるの?とか、年間○冊しか読んでないの?なんて質問は愚問過ぎる、何だったらそこ通り過ぎてヘドが出る質問だなと。
その本の内容を一言一句自分のモノへと落とし込みながら読む人もいるかもしれない、調べながら1ページずつ止まって行く人もいるかもしれない。その本自体が皆にとってただただ難しく時間がかかる本なのかもしれない。
本は開いて読んでみなけりゃ表紙の雰囲気なんぞとは裏腹にその大物感ラスボス感を、斧を持って振り回し、心に突撃アタックしてくるかもしれぬほどの、なんだったら末恐ろしい物体だなとも感じるようになった。
開いてみなけりゃ分からない。
行ってみなけりゃ分からない。
喋ってみなけりゃ分からない。
世の中分からない事だらけだが
それでも私は己の知る欲求を大切に扱いながら
出口治明さんの言葉も借りて
『人・本・旅』な人生を今後も精進して参りたいと思った。
まだまだ知らない事だらけ。
知りたいから生きる。
テニスは今は出来なくても生きる活力らしきものが湧いてきた所で、また徒然なるままに✨日々を記しにここのblogにも来ようと思う。